伊丹万作

映画における音楽の位置をうんぬんするとき、だれしも口をそろえて重大だという。 なぜ重大なのか。どういうふうに重大なのか。だれもそれについて私に説明してくれた人はない。重大であるか否かはさておき、さらに一歩さかのぼつて音楽は映画にとつて必要であるか否かということさえまだ研究されてはいないのである。 音楽ははたして原則的に映画に必要なものであるだろうか。 だれかそれについて考えた人があつたか。私の見聞の範囲ではそういうばからしいことを考える人はだれもなかつたようである。 ただもう、みなが寄つてたかつて「映画と音楽とは不可分なものだ。」と決めてしまつたのである。原則的に映画が写り出すと同時に天の一角から音楽が聞えはじめなければならぬことにしてしまつたのである。 何ごとによらず、すべてこういうふうに信心深い人たちであるから、いまさら私が「音楽は必要か」などという愚問を提出したら、それはもうわらわれるに決つたようなものだ。 ことに音楽家連中は待つてましたとばかり、「これだから日本の監督はだめだ。てんで音楽に対する理解力も素養もないのだから、これでいい映画のできるわけがない」と、こうくるに決つたものだ。 私の経験によると、映画のある部分が内容的にシリアスになればなるほど音楽を排斥するということがいえそうに思える。しかしてそれは音楽の質のいかんには毫も関係を持たないことなのである。そしてこのことは映画の芸術がある意味でリアリスティックであり、音楽があくまでも象徴的であるところからもきていると思う。。。